「全部」ときたらやばい!
「カップが全部なくなってる。一個もみつからない。どっか持ち込んでない?」
わが家には百均で買ってきた白いマグカップが10箇ほどある。
何かの景品で貰った物もある。
普段はお茶など飲み物はほとんどこのマグカップで飲む。
飲んでは台所のシンクに放り込んでおくので、
洗われずに放置されているカップが山と金だらいの中に浸かっている。
嫁様は食器の洗い物を放置することが多いので、
ときにきれいなカップが全部出払ってしまうことがある。
そんなときに「カップがひとつもない」となるわけだ。
「目の前の金だらいに浸かってるだろう」と言いたいところだが、
じっと我慢する。そのうち見てわかるだろう、と思うからだ。
しかし、ちかごろは、もうすこし複雑な事情が生じている。
「掃除」は認知の敵!
時に食器棚を整理したりすることがあり、
自分で皿やカップの置き場所を変えたりする。
翌日になると、置き変えた場所を忘れてしまい、
「カップが全部なくなってる。一個もみつからない。どっか持ち込んでない?」
となるわけである。
嫁様のお掃除とか、整理整頓というのは、実に困りものである。
まず お掃除とは、物を視界から消すことだから、
たとえば普段の居場所としてのリビングにあるテーブルは、
物がなくなってすっきりする。
だけど、日常生活でないと困るもの、たとえばメガネとかルーペ。
新聞を読むにしても、薬のトリセツを確かめるにしても、
白内障・緑内障の弱視には老眼のメガネやルーペがなかったら
全然見えない読めない。
そこで嫁様は、「虫眼鏡 どこにやったのよ。一個もないじゃない!」
となるわけである。
「自分でかたづけたんでしょ!。どこにやったか思い出しなよ!」
といいたくなるのだが、そこはじっとおさえて、
近くの「お煎餅の箱」とか、竹製の文箱など、
しまいそうな場所を探って見つけ出す。
これぐらいなら、まだいい。
先日は、探しに探した補聴器が、冷蔵庫のなかから見つかった。
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